小学生高学年から中学3年間、高校卒業してからの1年間、私は隠れゲーム廃人でした。
学校が休みの日は、朝から翌日の朝まで。学校がある日は、朝起きて学校行くまでゲームをして、学校から帰ってきたら、食事と入浴以外は寝るまでゲーム三昧。
何度か途中でゲームから遠ざかっている期間もあるのですが、ゲームのやりすぎである日突然つまらなくなったことが主な理由です。
で、ハマったゲームは『人生劇場』という人生ゲーム。あとは『マザー2』でした。それ以外にもちょこまかとやってはいましたが、この2つはとにかくハマりました。
私はこの『人生劇場』という人生ゲームを狂ったように何度もやりました。
丁度世の中では、核家族化やバブル崩壊、男女雇用機会均等法など。
価値観がまだ定まっていない年頃に、世の中の流れが変わっていくような感覚。大人になると世の中は多少なりとも変わっていき、その中で生きていくことはできるのですが、子供の頃はどう生きて行けばいいか、ロールモデルもないので、こわかったのです。一寸先は闇という不安感。
何度もゲームをやることによって、これからの自身の生き方をシュミレートしていたように思います。
今や『親ガチャ』『リセマラ』などの言葉が生まれて近しいですが、この人生ゲームにおいても人生の不平等、不条理を感じたものです。
なぜかというと、この『人生劇場』何度もやるうちに、気がついたことがありました。初めから好調なコマに行ける確率が高い場合、最後まで好調で、初めから不調なコマに行く確率が高いとあまり良いとは言えないような最後になるのです。
そこで私は実際の人間にも当てはまるのではと思いました。生まれが良ければ比較的良い人生になる確率が高いし、そうでなければまた然り。
それで私はどうしたら良くないコマに行く確率の高いものでも、巻き返せるのかと何度もやりこみました。ただのプログラミングによるものだとしても、絵にかいた幸福とは言えない生まれの私には『人生劇場』をやりこみ、不遇にみえるキャラを幸せにすることが唯一の希望にもみえたのだと思います。
結局何度やっても答えがだせず、そのうち実生活が忙しくなり私のゲーム人生は終わりを迎えたのです。
わかったことは、人生は不平等で不条理。答えが出せなかったのは、幸せは人によって違うからだと思いました。
ちなみに『マザー2』や他のゲームからわかったことは、クリアできなかった場面でも時間が経てばクリアできるようになることも多々あるということです。人生においても。
あの膨大な時間をゲームに費やして無駄にしてきましたが、ゲームした時間は最高の贅沢で、ある意味幸せなことだったんだと家事と育児、仕事に追われる毎日にいる中で思います。